完了した救いのみわざ 〜ヨハネ19:17~30
2020年 01月 15日
私たちは時々取り乱します。
そんな時、私たちの醜い本性や弱点、欠点が現れることがよくあります。
しかし、イエス・キリストは違います。
少しも取り乱すことなく 苦しみ、痛みを受け切って救いのみわざを完了されました。
そして すべてを父なる神のみ手に委ねられました。
<わが神 わが神
どうしてわたしをお見捨てになったのですか。と言いながら
父なる神様にすがりついて離れようとなさらない、この信頼
十字架の死という極刑に曝されながら、完全に父なる神に明け渡していらっしゃる
その態度を私たちは学ばせていただかなければならない思います。
全てを父なる神のみ手に委ねられた御子 イエス様は
なんと従順なお方なのだろうと思わされます。
人類の祖 アダム以来
人は皆、神様に不従順であったために罪を犯しました。
ですから、救い主の条件は従順にあった とも言えるのです。
「(主は)死にまで従い
実に十字架の死にまで従われたのです。
それゆえ、神はキリストを高く上げて
全ての名に勝る名をお与えに」なったのです。
<ピリピ2:8~9>
ローマ兵が確認を込めてイエス様の遺体の脇腹を槍で突き刺すと
直ちに血と水が出てきた、と記述されています。<同 34節>
これは、心臓が破裂した時に起こる 特殊な現象だそうです。
イエス・キリストは
全人類の罪を全て負い
その罪に対する恐ろしい神の裁きを受けられました。
その時のあまりの恐怖と苦しみから、心臓が破裂してしまったのです。
イエス・キリストは
私たちの罪のために血を流し、ご自分の肉体を裂いて
私たちが永遠に生きる道を開いてくださいました。
私たちが神様とともに生きる者となるために
こんなにまで苦しまれたのです。
どうか今も生きて働いておられる愛の御霊が
私たちの冷たく冷え切った心に
もう一度火を点じてくださり
もう一度 初めの愛に立ち返ることができますように。